イタリア買付道中記 2008
イタリア買付道中記 2008 その1
2008年の買付へ行く際にいつも(しかも直前になって慌てて)準備するものを少し書いてみます。
■スーツケース
出来れば小さく、それこそ機内持ち込みできるようなもので行ければ
ありがたいなぁと思いつつも、いろんな人へのお土産を用意していると
75センチクラスのスーツケースの半分位が埋まってしまう始末。
軽さを考えてそろそろソフトタイプがいいなぁと思っています。
あとは4輪が自由に動くタイプはかかせません。
鉄道に乗る場合は狭い通路をゴロゴロやらなくてはいけないので、
これが威力を発揮するのです。
その昔(15年くらい前・・・)奮発して買ったはいいけれど、
イタリアの石畳の前にあえなく一度きりの旅となった事や、
私の場合、行商(催事)の際に良く使うので(というより殆どその方がメインだったりして)
スグ壊れるわけです。
私にとってスーツケースはほぼ消耗品、というわけでそれほどコストを
かけないようになりました。
盗難?破損?そんなものは起こるときは起こるのです。
■ ショルダーバック
もうかれこれ12年位前に買ったショルダーバッグが未だに捨てられず
ずっと使っています。
このバッグは前職の建設業時代、神戸の震災復興に始まり、
休職してシチリアに行った際にも、そして毎回の買い付け時にも、
途中のお金盗まれた事件も・・・いろんな大変な思いが染み込んだ・・・
というほど思いいれもないですが、使い続けています。
PCやらデジカメ、ノート、お金、薬等々、手放せないものは全てここに入りますが、
やっぱり重くなるのですが、それでも活動しなければという時にショルダーが
一番頼りになるような気がしています。
いっぱいポケットがついてふくらんだショルダーかばんを肩にかけ・・・
ちょっとダサい感じでお金持ちに見られない所が気に入ってます。
あ、十分見かけどおりか。
■パスポート入れ
俗にいうハラマキタイプ(ウェストバッグの薄いやつ)です。
一昨年、お金を盗まれて以来、随分臆病になり、これを買いました。
首から下げるタイプは肩こりの私には向いていないので必然的に。
でも薄着の際には意味をなさないのでカバンの中にあったりして
何の意味があるのかしらんと思いつつ、もうこの際、お守りみたいなもんです。
■お金
シチリア滞在時期より使っているCITIBANKさんのキャッシュカードは
それ以降の数々のトラブルに見事に対応してくれた事が心強いので離せません。
レートどうこうより安心感ってところです。
経験上、トラベラーズチェックは結構な確率で使えないので使いません。
クレジットカード何枚かをいろんな所に入れて対応です。
■海外旅行障害保険
クレジットカードの一般タイプでは携行品の盗難の際に役不足ですから、
付け加える感覚でいつも入ります。
でも、考えてみればちょっと上のクラスのカードにしたのと同じ位の金額になるなぁと。
いえ、いえ、クレジットカードを作る際の与信って事業を始めたばかりの個人事業主には
とっても厳しいのです。
社会的信用って意味で。
ようやく普通にカードが作れるようになったんだっけ。
ってところなのです。PIATTIってまだ5年ですから。
■PC
持ち歩く事を考えるとやっぱりB5サイズのラップトップが必需品です。
行く度に進展があるPC環境と、いろんな事を現地でこなしていかないと
いけないようになったという、進展だかどうだかわからない理由から
自ずとPC自身に要求されるスペックが高くなり・・・・・・・・・・
というのは半ばこじつけな感じもしますが、そんなわけで2年に一度ほど
PCの新調が図られるのです。
でもこれが数年落ちの型を探してネットオークションで入手ってとこが情けないところ。
とはいっても2~3万円で結構良いのが買えるもんです。
古い型でもドーピングし甲斐のある、という意味でもっぱらIBMさんの
ThinkPadが気にいっています。
■デジカメ
今年になってサイトの写真をきっちり撮ろうと思って一眼レフタイプを購入しましたが、
それを持っていく勇気がないのでやっぱりコンパクトなタイプを持っていきます。
もうかれこれ6、7年前位の機種(オリンパスCAMEDIA C3040)ですが、
結構良く写るので未だに捨てられません。
スマートメディアという過去の産物を記録メディアにしているのと
動作が異常に遅い事が気になるといえば気になりますが、
そんなもん大した問題ではございません。
PIATTIのサイトの写真の殆どはこれで撮りました。
■メモ帳
どんなにデジタルになろうが何であろうが、ボールペンとメモ帳はいつも手放しません。
ちょっと待って!メモるから!っと何度言った事か。
ブロックメモという手のひらサイズの小さいやつが気に入っています。
ここに書きなぐったらあとでPCで整理する、というのがいつものパターンなのです。
RHODIAってところのがタフですね。使いやすいです。
■サングラス
何でイタリアは日差しが強いのかわかりませんが、日中はこれを必要とする事が
とても多いので忘れてはいけません。
学生の頃に買ったレイバンのウェイファラーをなんとなくそのまま使い続けています。
あの頃に比べて随分と顔が丸くなったので似合うかどうかはこの際、別問題です。
実質本位でございます。
■携帯電話
この仕事を始めて2年目から現地専用携帯を使い出しました。
携帯電話ってイタリア人のために出来たんじゃないかというくらい
使いこなし(話こなし)ています。
そんなわけで必需品です。
安いのでいいやと割り切って買ったつもりですが、あまりにもボタンが押しづらくてイライラ・・・。
でも機種ってそれなりのお値段しますから、ま、だましだまし使い続けてます。
携帯電話の通話料はイタリアの方が高いかもなぁといつも思います。
最近だと日本から携帯電話を使ってでもイタリアに電話するのが
驚くほどリーズナブルなのでなおさらです。
買付出張の経費にしめる電話代って結構なもんです。
■靴
履きなれた靴が良いのに越したことはないです。
結構歩き回るし、いろんな種類の畑に行くわけですからスニーカーでも
と言いたいところですが、生産者を回っていると、時にはリストランテに
行こうかという時もあります。
ドレスコード、というほどでなくともやっぱり少し小奇麗にしていないと
恥ずかしい思いもするものです。
というわけで、随分昔からデザートブーツを履くようになりました。
ブラシでさっと磨いてそれなりになり、それほど気を使わないけれど
カジュアルすぎずそこそこドレッシーな感じにもいけるというので専ら愛用しています。
■薬
そんなに持っていかなくとも・・・といつも思いながらパッキングするのですが、
海外での薬購入は思いのほかハードルが高く、大体仕事で飛び回って時間なんてないっ!
って具合ですから、やっぱり常備薬は持ち合わせておかないと何だか不安。
って事でそれなりに。
特に冬に向かって乾燥が進みますからクリーム関係もかなり活躍です。
それから何かと畑に入ると小さな怪我をするもんで、絆創膏なんかも無いと大変。
それから、急におなかが痛くなった時のための整腸剤はマストアイテム。
国際線での持ち込み規制は厳しいですから、スーツケースに入れるものと
手持ちで透明袋に入れるものをきっちり分けて入れています。
■おみやげ
イタリアへのお土産はそれこそ色々と持って行きますが、日本へのお土産は無いです。
買ってる暇がありません。
良く、イタリアに行けて良いね~!お土産よろしく!なんて軽々言われたりしますが、
何なら替わってみます?って言いたい位なんです。
なので、そういうご要望は一切受け付けておりません、っていうより受け付けられません、ホント。
すみません。
以上、これらのモノ達は買付、といいつつ買うのではなく話すのだ、
という至極シンプルでとても奥深く、頭と気をフルに使って臨むこのイベントを
無事に終えるための大切なモノ達なのです。
使い慣れて信頼しているモノ達を上手に使ってがんばって話して話して見て聞いて、
また新しい何かを見つけてこようと思います。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その2
このメルマガはまず行きの飛行機で書き始めました。
何といっても12時間以上もあるフライトですから、こんなまとまった時間は仕事のやり時でございます。
ま、思いっきり寝だめするという手もありますが、現地についてからが大変なので、
調整、調整でございます。
エコノミークラスのコンパクトなスペースはやはり12時間の旅にはなかなかに窮屈な感じが否めないですが、
きっとこの先、もしもひとつ上のクラスに乗るためのお金があったらやっぱり商品購入に
まわしてしまうのだろうなとか思ったり・・・
さて、こういうコンパクトなスペースにはやっぱりB5サイズのPCが有効だと実感します。
現地についてからの行動を改めて確認しながら生産者ごとに作ったページを眺めていると
だんだん緊張感が増してきました。
今回も新しい商品、生産者へのステップが2つほどあるのですが、いつもながらにドキドキします。
過去の買付道中記では2003年から3年分はサイトにアップしたのですが実はその後を書いていません、
というか書けませんでした。
生産者のところに行ったはいいけれど、行ったからといってスグに取扱にこぎつけるわけではなく、
でもあきらめきれずにまた次の年も訪れてみるという、そんな事が続いていたのです。
大切にしたい事や複雑な問題を含む事項等、公表するのをためらうような事があると
どうも筆が進まない、そんな事がたくさんありました。
今回、何か一つでも進めばそれをもって初めて露にする事もできるかと期待しつつの緊張感なのです。
ああ、何だか肩がこってきました。
いつもの事なんですが、緊張しすぎて良くあることです。
ワインを少し含んで寝ることとしましょう。
・・・・・・・zzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・
かくしてローマに無事辿り着きました。
日本でチェックインするときにすでにローマからカターニアまでの分もチェックインしていたので難なく乗り継ぎが完了。
乗り継ぎ時間が少なかったので急ぎつつも、とりあえずのイタリア入りですからカターニアの友人に電話することに。
これから数日はお世話になるのです。
で、プップップと。・・・・・?????
電話が通じない・・・というよりかかりません。
良く見ると何やら電話にメッセージが表示されていて、SIMカードが何やらかんやら・・・って事で
「あ、そうか、しばらく使っていないから接触不良かしらん?」
という事で幾度かカードの抜き差しなんかしてみるも同じメッセージが。
これはもしや恐れている事態かも?!
幸い、空港には携帯電話会社のブースがいくつかあるので尋ねてみると
「これ、SIMカードの期限切れですね。1年以内に“リカリカ”しました?」
おおぉ、また出てきたリカリカ問題!要するにチャージです。
ご存知の方も多いかと思いますが、イタリアはプリペイド方式なのです。
無くなったら適当な金額を電話会社やTabacchi:タバッキなどでチャージする仕組みです。
最近はかつてのようにカードを購入してスクラッチをけずり、書いてある番号を押したりしながら
早口のリカリカリカリカリカリカリカリとかいう言葉を緊張しながら聞くことも無くできるので、
もっぱらこの方法が便利ですね。
でも私は知りませんでした、というより間違った覚え方をしていたようです。
“イタリアの携帯電話は1年間チャージしないとその番号が期限切れとなる”
という事を
“・・・・・・・・・・1年間使わないと・・・・・・・・・・・・・・・”
という風に覚えてしまっていたのです。
チャージしたのは昨年の春、すでに1年が過ぎてしまっていた事は知っていたので、
途中、イタリアへ行く知人にお願いして“使って”もらっていたのですっかり安心していたというわけです。
「どっひぇ~~!今年は携帯のトラブルでスタートか?!」
幸い、パスポートを見せるだけで新しい番号を入手することが出来たのでちょっと安心。
(数年前は定住者のコード番号 codice fiscale がないと購入できなかったように覚えていますが・・・
ま、何にしてもラッキー?!)
10ユーロを払って新しい番号を入手成功。
ついでに50ユーロ分をチャージしてカード決済。
おおぉ、カード決済はやっぱりCodice PIN:ピン・コード、即ち暗証番号を入れるタイプでした。
先週のメルマガで書いたように、桁数に不安があったのですが、ここではすんなり4桁の暗証番号のみでOK。
これまたひと安心。
携帯でドキドキしてしまったので、ATMでのキャッシュカード使用は見合わせることにしました。
何て小心者かと思いつつ、アクシデントがある時はなるべく余計なことはすまいという事です。
かくして携帯電話の手続きという予想外の行動に時間をとられてしまい、
慌てて国内線の乗り場へ急いだのですが、どうも何だか変。
途中のアリタリアのチェックインカウンターに長い列。
気になって“新しくなった番号”で早速友人にTELすると
「コージ、アリタリアがショーペロ(スト)だ!幸い、夕方終わったようなので君の飛行機は飛ぶようだが遅れるね。」
「な、何?、ショーペロ? 出発前のネットチェックではなかったのに!」
「それが急に決まったんだ。だから大騒ぎだよ。」
という事で、掲示板をチェックしていると何だか欠航便がずらずらと・・・
不安になりつつも辿ってみるとカターニア行きはどうにか飛ぶようでした。
でも2時間遅れ。
結局、ロビーで水飲んで過ごす事に。
10時頃になってようやく飛び立った飛行機がカターニアについたのは11時半。
出迎えに来てくれた友人に遅くなった事を詫びると
「でも良かったじゃないか、今日中に着いて。もう少し時間がずれていたら
ローマで一夜を過ごす事になっていたしね。
これがイタリアさ(笑)っということで、ようこそイタリアへ!」
友人宅はカターニア県のBelpasso:ベルパッソという、エトナ山の麓の村。
天高く穏やかな空、静かな環境がすばらしいところです。
友人家族の暖かい出迎え(皆眠そうでしたが)にすっかり安心しました。
シャワーを浴び、ベッドにもぐりこむと、ベッドサイドのTVでは延々とアリタリアのストの問題が・・・
どうやら大変だったようですが、その中では幸運だったようです。
不幸中の幸い、捩れながらも現場が進んでいくイタリア。
私のイタリア買付道中はイタリアらしいスタートを切ることになったのです。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その3
Sciacca:シャッカへ
今回の旅はドライトマトの生産者、Filippo Finocchiaroの助けなしには不可能だったといえるほど
彼には世話になりました。
今回書きます、Sciaccaはじめ、シチリアのいろんな所を彼の運転でトータル1000Kmを超える旅程を
こなす事ができました。
まず最初は既にPIATTIでお馴染みのエクストラヴァージン・オリーブオイル BICENO:ビチェーノの生産者、
Vincenzo:ヴィンツェンツォを訪ねに行きました。
彼がやっているFrantoio:フラントイオ(搾油所)にはいろんなオリーブ生産者が自分で収穫したオリーブを持ち込んできます。
その大半が、自家用に絞ってもらうために来るわけです。
シチリアのこの辺りは10月半ば頃からこうした風景が見られます。
できればエクストラヴァージン・オリーブオイルBICENO、そのもののオリーブの実や搾油風景がみられればなぁと思っていましたが、
彼曰く
「もうとっくに終わっとるわい。来るなら10月半ばだな。」
っとあっさり。
そうそう自分のイタリア行きのタイミングが合うわけないですね。
で、
「ほれ、もうこっちに安置してあるからな。コージの分もここにあるから心配するな!」
っと、いっつもこういう感じなのです。ちょっと変人?!の風合いが感じられる彼なのです。
タンクに入れて直ぐボトル詰めするタイプではないので、あと1,2ヶ月ほど待たないと出荷できませんが、
そうはいっても味見したい、というわけで
「じゃあ、ちょっと味見していい?」っと聞くと
「ほれ。」っと彼。
小さなカップに入れたそれを味見する事に。
涼しいタンク貯蔵所の中だからか、まだ出荷レディでなかったからなのかイマイチ香りが開いてないなぁという、
私のけげんな顔を察知するとすかさず
「もうちょっと暖かい場所(外)でこうしてカップを揺すってやると・・・」
っとアドバイス。
「あぁ、この香りだ!」
っと香りも開き、私の顔もやわらぐと、彼の顔もほころぶ、そんな緊張感を伴う瞬間でした。
まだ見ぬ花の、小さな蕾、そんな感じでした。
しっかりと味、香りを確認し、そしてまた今度のオイルの出来を確信するにいたりました。
楽しみです。
私をアテンドしてくれているドライトマトのフィリッポは彼のオイルを使い始めています。
確かに他のオイルよりもコストがかかりますが、その良さを実感しており、
特にデリケートな商品にこそその存在価値が光るようです。
(セミドライ・チェリートマトのEXVオリーブオイル漬けがそうです)
そしてまた、彼のオイルの価値を理解し、使い始めた生産者がいます。
同じくSciacca:シャッカでアンチョビを作っている生産者です。
彼の商品を知ったのは3年前でした。その味を気に入ったものの、
なかなか直接会って話す機会を得ないまま時間ばかりが過ぎていっていたのです。
アンチョビの取扱を希望していたのですが、すでに日本には沢山の商品が並んでいるわけで、
いろいろと考える事が多かったのですが、どうしても直接会っていろいろ話してみたい、
そんな思いが今回実現したのです。
迎えに来てくれた彼。
また新たな生産者との出会いが始まりました。
緊張の瞬間です。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その4
Sciacca:シャッカは言わずと知れたアンチョビのメッカです。
イタリアでアンチョビといえば、
・リグーリア州のMonte Rosso:モンテロッソ か
・シチリア州のSciacca:シャッカ
のどちらかではないか、なんて言われ方をしています。
良い素材が取れる場所で、昔から作り続けられている伝統がある場所そんなところです。
アンチョビってその作り方そのものに大きな違いがあるわけではないですが、
だからこそ、素材の状態や漬けるオイルなど、ひとつひとつの工程を吟味していくと、
その差が表れてくるものです。
これまで私が出会った様々な生産者のサンプルを試食していくうちに
だんだんとそうした事が実感できるようになりました。
何度か食べていくうちに、
「あぁ、これ美味しいなぁ・・・」
って改めて瓶のラベルを見直すような、そんな感じです。
そう思ったのはもうかれこれ2年以上前のことです。
でもなかなか調整が取れず、訪ねる事ができないままに時間ばかりがすぎていっていたのでした。
アンチョビはPIATTIの商品ラインナップとしてどうしても欲しいものでしたが、
色々と考える事が多かったですし、やるからにはきちんと会ってからという心情がありますから
できるだけ慎重にとも思っていました。
で、今回ようやく機会に恵まれ、訪ねる事になったわけです。
EXVオリーブオイル、BICENO:ビチェーノの生産者のところへ迎えに来てくれたのは
Paolo CAVATAIO:パオロ・カヴァタイオという生産者です。
たまたま近いから迎えに来てくれただけではありません。
彼はまた、EXVオリーブオイル、BICENOの顧客でもあるからです。
つまり、かの超高級EXVオリーブオイルを使っている、という事なのです。
そこが味の大きなポイントであり、また同時に悩ましいポイントでもあるという事なのです。
以下、独り言のようなものですが・・・
・“そのまま食べるというよりは、溶いて使う事の方が多いアンチョビにそこまでのクオリティを求めてよいのだろうか?”
・“それよりもよりプリミティブな塩漬けを自分で塩抜きして使った方が良いのではないか?”
・“確かに塩漬けタイプを自分でやった方が美味しいけど毎回そんな手間をかけるのが一般的なのだろうか?”
・“気になるのはやっぱりコストか。。。。”
・“だったらすでに日本でいろんなタイプが沢山出回ってるじゃないか”
・“いや、切れっ端を集めてペーストにしたタイプがあればコストの面はクリアするかもしれない”
・“良いアンチョビを輸入するには温度管理が必要だから少量ならば空輸するしかなく、結局は同じ事か?!”
・“コストばかり考えていては本末転倒ではないか・・・”
などという事を会う前に考えていました。
グルグルと頭の中だけで。
でも、会おう、と決めたのは最終的には舌に残った記憶というか勘というか
何かそんなものの方が迷いよりも一寸力強かったからかもしれません。
港のすぐ傍にあった彼の作業場を訪ねると、白いタイル張りの清潔感のあるしんと静まったその中で、
黙々と作業を続ける作業員の姿が目に入りました。
春の頃、状態良く捕れたカタクチイワシを塩漬けし、その後一尾ずつ骨等をきれいに取り去った後、
瓶につめ、オイルを満たすという最終工程が丁度今頃(11月)に終わりを迎えるといった状況でした。
それを見ていると、さして切れっ端が出る風でもなく、これではペーストを作る必要もないほどでした。
それほど丁寧な仕事です。
上手に発酵したものは洋の東西を問わず臭みがありません。
程よく薄いピンク色をした身頃は固すぎず柔らかすぎず。
この頃合を見極める所に違いがあり、その身はオイルに使った後でもさらに
少しずつ変化し続けるとてもデリケートなものなのです。
既に塩で漬けているものである事、熱や酸化に対してデリケートな面を持つ事から、
瓶詰めのオイル漬け製品ではありますが、湯煎をしません。
従って、オイルはその身を酸化から守るための唯一の方法ですから、
他の製品以上に大切な役割を果たす事になるわけです。
その市場価格や使われ方から想像すると少し意外な気もしますが、
考えてみれば至極当然といえば当然なのかもしれません。
オイルの質が悪ければどんどんとその身は酸化し、緑がかった色合いに変わってくるのです。
それを大切に思い、つきつめた結果、使うオイルはひまわり油でもなければ、
ただのオリーブオイルでもない、超低酸度のEXVオリーブオイル、BICENOだったというわけです。
「いくらアンチョビそのものが良くってもそれだけじゃあ駄目なんだ!」
彼は熱弁してくれたのでした。
なるほどね。
そんな風に相槌を打ちました。
一体、今までぐずぐず悩んでいた事は何だったのだろうかと。
全うな物をよい良い状態で、という思いから出来上がったという事にもっと敬意を払うべきだったと思い直したのです。
大切な事を見失いそうだった事を恥ずかしく思いました。
あとは・・・
アンチョビの瓶一般に言える、オイル染みの事です。
きっちり締めて、湯煎するタイプに比べれば、その工程上どうしてもその弱点が浮かび上がるようですが、
この点についてもう少し蓋の中身がマシなタイプを日本で買って持って来ていたので、
それを手渡し、その旨説明して検討するよう嘆願したところです。
ま、だからといって直ぐに実現するかは・・・イタリアですから。。。
でもこうした直接の会話なくして進まないものですから、大きな一歩かと思っています。
近く彼からの返事があり次第、さらにまた一歩進む事が出来ると思います。
なるべく小さめのサイズを少しずつ、こうしたいつもの私のお願いを彼は快く聞き入れてくれました。
アンチョビの取扱、これは今回の旅の大きな一つの目的でもありました。
早々に大きな山場を迎えたのですが、まずは無事に最初の一歩。
何とか踏み出せたようです。
さて、クルマの中で私を待ってくれていたトマトのフィリッポ。
「じゃ、次行きますか?!」と彼。
「Si,amninni!(アムニンニ!:レッツゴーのシチリア弁)」と私。
向かった先はTrapani:トラーパニです。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その5
Trapani:トラパニ・・・最近ではトラーパニという言い方のほうが通じるようになったきたように思います。
時代と共に少しずつ本格的な表現が伝わるようになってきた、そんな感じでしょうか。
ともあれ、トラーパニはシチリアのみならずイタリアで最も有名な塩の生産地として知られたところです。
ひょんな事で知り合った、イタリア・スローフード協会シチリア支部のFranco Sacca':フランコ・サッカ氏の
紹介で知り合った
Consorzio Sale Marino Artigianale:コンソルツィオ・サーレ・マリーノ・アルティジャナーレ
今なお、伝統的製法によって作り続けている職人達の集まり、との取引が始まったのは3年前です。
もう在庫も少なくなり、いい加減オーダーしないとなぁと思い、連絡をとり始めたのは7月でした。
が、メールを書いてもFAXを送っても返事がない、TELしても誰も出ない、
なんて具合で時間ばかりが過ぎていく始末。
「Consorzio:コンソルツィオ(組合、協会)って何やらややこしいのかしらん??」
と感じていたものの、日本からとりたてて何かを出来るわけではないのでここはひとつとフランコに
「チャオ、フランコ、ちょっとコンソルツィオってドウナッテルノ?兎に角、私を含めお客さんが心待ちにして
いるんだけど、なんかこうらちが開かないんだけど、どうすれば良い?」
っと訪ねたところ、あれこれとやり取りがあり、結果、
「じゃあ、Carmelo:カルメロという男に会うといいよ。彼が君の塩を作ってくれている生産者なんだ。」
という事で連絡先を教えてもらったのでした。
今回イタリアに来る前に何度かやり取りをした結果、取扱を継続する事ができるようになったのですが、
直接会ったわけではないので何となく居心地が悪い感じがしていたので、ちょっと遠かったのですが
無理やり足を伸ばしたのです。
・・・いえ、足を伸ばしてもらったのです。(トマトのフィリッポの運転で)
途中、ささっと昼食をとらねばならぬ、という事で立ち寄ったところが
Bar del Camionista:バール・デル・カミオニスタという定食屋のような所でした。
Camionista:カミオニスタ、とはCamion:カミオン(トラック)運転手の事を指します。
“トラックやタクシーの運転手が立ち寄る街道沿いの飯処は早くて安くて旨い”
という言葉は何も日本だけではなかったのです。
私もフィリッポも一通りの食事をし、食後酒やCaffe'まで飲んだのに
二人で30ユーロ程度でしたから大満足。
ホントはもう少しゆっくりしたかったけれど、何せ急ぎの旅です。
そそくさと食べてサッと店を後にしたのでした。
シャッカからトラーパニってそれなりに時間がかかります。
急ぎ足の工程だったつもりでしたが、それでもトラーパニに着いたのはもう陽が傾く頃でした。
Nubia:ヌビアという場所は、トラーパニの中にあっても特別な場所で、
・シチリア州、スローフード協会が保護選定し、
・WWF(World Wide Fund for Nature:世界自然保護基金)が自然保護地域
として管理している希少な塩田です。
ここにあるMuseo del Sale:塩の博物館が、塩の生産者カルメロとの待ち合わせ場所でした。
握手をし、改めて自己紹介などした後、これまでの顛末や今後の展開などいろいろと情報交換をし、
互いに一定の納得をするに至りました。
まぁでも、その時間たるや、ものの1時間程度だったかと思います。
話した内容など、すでにメールや電話でやりとりした事がほとんどだったわけですが、
でもそんな事よりも
“直接会って、面と向かって話をする”
事に意義があったわけですので、それだけで大きな収穫でした。
しかも実際に作っている本人が特定できたわけですから、
今後どんな展開になったとしても彼本人とのやり取りの中で解決していけるという術が見つかった
という事がとても意義のある事だったのです。
無理して(否、フィリッポに無理してもらって)はるばるやって来た甲斐があったというものです、ホント。
でもまぁ、これに限らずイタリアとのやり取りってこういう事が良くあるもので、
メールやFAX、電話で上手く解決できずに悶々と抱え込むような問題も、
実際会って話してみると、あっけなく解決してしまうという側面があったりするのです。
何やらかんやらでヤキモキする事一杯なのですが、最終的にはどうにかつじつまが合ってしまうというあたり、
これを現場主義といってしまえばあまりにも格好良すぎるようなそんな気がしますが・・・
というわけで、すっかり辺りが暗くなった頃、ようやく一日の予定を終え帰途についたわけです。
Belpasso:ベルパッソ(エトナ山の麓、友人宅)に着いたのはもう深夜でした。
およそ700Kmほど走った(というより走ってもらった)でしょうか。
フィリッポに礼を言って(でもまた明日・・・なんて言いつつ)別れ、家に着いた頃は
もうヘトヘトで食事もせずにベッドに倒れこみました。
また明日も早起きして、今度はModicaへ出かけねばなりません。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その6
昨日に引き続き、早起きして今度はModicaへ。
昨日に引き続き、これまたFilippo:フィリッポのドライブ。
途中、彼の会社SOLO SOLE:ソロ・ソーレのあるPaterno’:パテルノに立ち寄り、
現在新設中の作業場を見学。
まさに今工事中と言わんばかりの内部だったので写真撮影は控えたものの、
広くて清潔、そして従業員の中に見つけた家族の姿が羨ましく映りました。
彼曰く、
「初めてコウジが来た時にもシチリア内を廻ったろ?
あの時は自分ひとりだったから作業場を閉めて来てたんだけど、今は家族も手伝ってくれるようになり、
新しくて少しばかり広い作業場が出来たから任せて外出できるようになったんだ。
まぁ、ともかく家族が手伝ってくれるようになったのが一番かな?!」
と嬉しそうでした。
そうだろう、そうだろうと深く納得。
家族が手伝ってくれる、認めてくれるっていうのが一番心強いんじゃないかなぁと思うので、
羨ましいと同時に自分の取引する生産者が少しずつ良い方向に向かっているのは嬉しいものです。
道中、食にまつわる問題やらクオリティとは何ぞや的な話など、取引している商材とかけ離れた話も多く
結局喋りっぱなしでModica:モディカに到着しました。
トロンチーニやアーモンド・ペーストの生産者、Tonino:トニーノとは既に知り合いとなっていたらしく、
何度かコラボレーションもしているとの事。
そんわなけで、トニーノの店までも迷う事無くあっさり到着。
モディカはやはり美しい街です。
ちょっと遠いですが、シチリアに滞在できるようなら是非お勧めしたい街ですね。
その昔、1693年、シチリア東部を襲った大地震のせいで、
Catania:カターニア、
Siracusa:シラクーサ、
Ragusa:ラグーサ、
Noto:ノート、
Modica:モディカ
といった街は軒並み破壊されてしまった為、当時流行していたバロック様式で街そのものを
統一した形で再建しました。
それが今や世界遺産です。
このうち、特にRagusa、Noto、Modicaといった小さめの街は住んでいる人達が
比較的穏やかな感じな方が多く、安心して歩ける、そんな感じがいつもしています。
美しくライトアップされたこれらの街並みの夜景をゆっくり楽しめるようなそんな素敵なところだと思います。
で、総じて甘いものが美味しいところです。
有名なCioccolato Modicano:チョッコラート・モディカーノをはじめ様々な種類があるのですが、
その話は置いといて・・・
件のトニーノですが、何と“Cioccolato Modicano”の生産者協同組合とも言うべき
“Il Consorzio di Tutela del Cioccolato Modicano”の中心人物となって頑張っているようです。
彼とはピアッティ創業当初からのお付き合いで、そろそろ他の商品展開も考えていっても良いのでは
ないかと思っています。
で、着くなり
「おー、コウジ来たか!久しぶり!
あれ?今回は奥さん連れてこなかったの?そりゃ、残念
ま、それは置いといて、今回はトロンチーニの工程を見せてあげるよ。」
って事で、工房へ向かうと既に従業員もスタンバイしてくれていたようで、
直ぐに作業に取り掛かり、私はそれをパシャパシャと撮影・・・
丁度それが私がオーダーしていた商品だったらしく、
「じゃ、これ詰め終わったらミラノに送っとくからね。」
ですと。何だかとっても愛おしく感じてしまいます。
一通り作り終えた頃にはすっかりお昼時間という事で、近くのTrattoria:トラットリアへ。
モディカならではのものが食べたいというリクエストに特に応えてくれたのは
lolli(cavatelli様で手打ち)con le fave:ロッリ・コン・ファーヴェ
というパスタ料理でした。
乾燥したfave:ファーヴェ(そら豆)を戻し、ハーブを加えて茹でていきそこへlolliという、
短いねじり状の手打ちパスタを入れて一緒に茹で上げて出来上がり、
というシンプルであまり見栄えのしない感じの料理ですが、とても美味しいものなので、
見かけたら是非トライしてみて下さいね。
いろいろ食べましたが写真を撮る暇などないほど話し続けました。
ここでも商品の事だけではなく、食にまつわる問題やらクオリティの話、
特にトロンチーニに使っているピスタチオはシチリア・ブロンテ村のものですから
この点についてもフィリッポとの共通点があり、話も盛り上がり軽く2時間はたっていたでしょう。
その他、話は多岐に渡りましたが、
「ブロンテのピスタチオという事を(お客さんが)知っていようがいまいが俺は使い続けるし、
それが多少の価格高騰となっても仕方あるまい。
いろんな試食の場を設けてお客さんに食べてもらうなりして、それが
passa palora:パッサ・パローラ(口コミ)で広がればいい。」
といった内容でした。
私はそういう彼(ら)のスタイルが好きですし、そういう商品達だからこそ日本に紹介したいと思うのです。
私が実店舗を展開しようと考えている旨話すと
「そいつぁ、いい事じゃないか!
その場でどんどん試食してもらって味を確かめてもらえるしな!
だけどコウジ、とにかく無理するなョ。
小さなスペースからでいいからゆっくりやれよ!」
なんて、ありがたい話です。
やっぱりメールや電話よりも会って話すことに大きな意義があるとつくづく思いました。
彼との取引もこの先少しまた幅が出てくるように思いました。
この日はそこまでで帰途に着きました。
明日は話に上がったBronte:ブロンテ村へピスタチオを見に行く事にしました。
また早起きして、またフィリッポのドライブで。
彼のお陰で殺人的なスケジュールを驚異的な効率でこなせていけているようです。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その7
昨日に引き続き、早起きして今度はBronteへ。
昨日に引き続き、これまたFilippo:フィリッポのドライブ。
さて、PIATTIで取り扱っている商品
・トロンチーニ
・ペースト・ディ・ピスタッキ
にはBronte:ブロンテ村のpistacchi:ピスタチオを使っています。
ピスタチオを使うならシチリアの、それもブロンテ村のものがよしとされているのは、その
・ほんのり甘味のある味
・しっかりとした芳香
・美しいエメラルドグリーン
が他のどれよりも優れていると言われているからです。
アラブの文化色濃いシチリアだけに、おそらくピスタチオも同じようにしてアラブから
移植されたものだと思いますが、うまくシチリアの気候風土にマッチしたのでしょう。
そのクオリティは本家をさしおいて世界中で有名となっています。
でもブロンテ村はエトナ山の麓、溶岩だらけのゴツゴツの岩場になっているので
収穫作業がはかどらないこと、2年おきにしか収穫できないこと、
等からそのクオリティに希少価値がつき、とても高級な商品になっています。
高級、希少・・・となればいろんな事を考える人がでても不思議ではないわけで、
これって本物??って事も良くある話です。
で、フィリッポに
「じゃあ、本物って何を信じれば良いわけ?」
と聞くと彼は
「信用できる生産者に出会うしかない。」
とそっけなく。
当たり前といえば当たり前、至極当然といえば至極当然。
それがわかれば苦労せんわい!っと言いたくなるような感じですが、
そこはフィリッポを信じて彼の取引先である生産者の元へと向かったのです。
11月のシチリア、雨、エトナの中腹・・・気温7℃、寒いです。
白い息を吐きつつ寒い寒い作業場へ入るとひっそりと仕事をする作業員の人達。
次第に雷が鳴り響き、電気も点いたり消えたりの中、作業員の手には一粒一粒のピスタチオが。
どうやら選別の最終段階のようでした。
ああ、最後はやっぱり人なんだなぁなどと思いながら、作業工程やら話を聞ける事になりました。
生産工程はざっとこんな感じです。
・ピスタチオの収穫は実が白くなってくる9月頃
・収穫した実は、先ずベルトコンベヤに乗せ、堅い外皮を取り除く
・これを100℃の熱湯に4分つける
・その後、Spella le pelle:皮むき工程へ
・80℃の風で乾かすこと5時間ほど
・冷風と振動でさらに乾かすと実が引き締まる
・選別機械にかけて大まかな選別を行う
・さらにひとつひとつ人の手で選別して完了
ここまでくると美しいエメラルドのピスタチオがまるで宝石か何かのように見えてきます。
さて、作業工程を聞きながらふつふつと湧き上がる素朴な疑問。
「ピスタチオが2年に一度しか実をつけないのはわかったとしても、
そんなに収穫量が少ないなら何で2年おきにしか収穫しないの?
半分ずつ植えて毎年収穫できる方が効率的なのでは?」
という事です。
それに対して事も無げにかなり込み入った回答をしてくれたのですが、例えて言うと
(あくまで数字は適当ですが・・・)
1.2年分を一度に収穫する場合(これを100として)
周囲に生息する虫の数は一定なので、虫が食べる数=虫の被害をうける数(これを10とすると)から
商品となり得る数は100-10=90となる
2.半分ずつ毎年収穫するようにしたとすると(これを50として)
周囲に生息する虫の数は一定なので、虫が食べる数=虫の被害をうける数(これを10とすると)から
商品となり得る数は50-10=40となり、2年分とすると40×2年分=80となる
結局は、出来上がる商品としてのクオリティと収穫量において最も効率的なのが
2年おきだという事になるからだそうです。
実際、近くの生産者が一度この実験を試みたそうですが、上記に書いたように、
上手くいかなかったのでやっぱり2年にしたとか、そんな話がありました。
数字そのものは絶対的な意味はないですが、概念としては理解できるなぁと私は納得しました。
かくして非常に高価なブロンテのピスタチオはグングン値上がりするばかりですが、
そうはいってもそれだけで商売が成り立つほどメジャーなものでもないというのが実際だそうで、
販売の機会をのがさないという意味でも、だからこそ輸入してでもイラン産等を彼らが売ることはままあるそうです。
事実、この生産者は、
「ブロンテ産もイラン産も両方扱っているよ。
顧客の要望も皆がブロンテ産ばかりを欲しているわけじゃないからね。」
っとさらりと言ってのけました。
正直です。
で当日、目の前でフィリッポが買っていったのはブロンテ産のものでした。
別に品質保証書をつけてどうとか、そういう事はないのですが、
このあたりが信頼関係というとこになるのでしょう。
ブロンテ産と書いてあるから美味しいと思うのか、
ああ、何だか美味しいなぁと思ったらブロンテ産だったのか。
私は(自分が取り扱う商品達が)後者になればいいなぁと思います。
さて、寒い寒い当日の天候でしたが、どうしても自分がピスタチオのジェラートを食べている、
という絵面が欲しかったのでフィリッポに頼んでジェラートを食べに行きました。
先にも書きましたが、11月のシチリア、雨、気温7℃、寒いです。
そんな中でジェラートを食べようなんざ、馬鹿野郎そのものではないかと
自分の事をpazzo:パッツォ(気狂い)だろ?っとフィリッポに問うと
「そういうのをシチリア弁でScimunito:シムニートって言うんだ。
pazzo:パッツォ(気狂い)& simpatico:シンパティコ(好感の持てる)
という意味だ。お前は真面目に仕事してるじゃないか。」
ま、そうですね。真面目にやってます。
そんなわけで写真をパチリと撮ってブロンテを後にしました。
かのブロンテのピスタチオのジェラートですから、多分?!いえいえもう壮絶に美味しかったです。
さて、フィリッポの多大なアシストによるシチリアの旅はここまでです。
彼のお陰で随分と沢山の生産者に会うことが出来、また彼と長い時間を過ごした事で
交わした会話も大きな財産となりました。
あとはシチリアの最後の夜を友人達との大切な食事にあてる事にします。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その8
シチリアの最後は必ず、その昔お世話になった人達との大切な食事を楽しんでいます。
l'ultima cena:ルルティマ・チェーナ(最後の晩餐)?!なんて呼んでいるこの食事は
いつも延々と4,5時間は食べて飲んで喋って・・・
最初は私をネタにいろいろと話が咲くのですが、それもつかの間、いつの間にか、
各々の話に熱がこもり、難しい話題になったりなんかするわけで、
そうすると私は会話についていけず置いて行かれるのですが、
それはそれで何だか妙に心地よい・・・という風な。
ああぁ、私は本当に彼らと出会って良かったなぁ、とつくづく思うのです。
さて、今回のシチリアはかなりハードスケジュールだったので既に疲労困憊の領域でしたが、
その後も同じように進んでいくわけで、当然ながら明朝の飛行機も朝一番に予約していました。
そう、日本で予約していたのです。
今回のアリタリアの騒動が始まる前に。
「コウジ、明日は早いんだろ?早く帰らないとな!」
なんていいながら帰宅したのは午前2時。
朝一番の飛行機に乗るためには午前5時起きでございます。
「アリタリア、ちゃんと飛ぶかなぁ?!・・・」
毎日のニュースを騒がすアリタリアの問題は、まさに私の行動予定そのものに
大きく影響してくるので何かと不安な私。
「大丈夫、夕方(この食事に)出る前にちゃんと電話して確認したから!」
あぁ、何て段取りの良い事かしら。
そして午前5時に起きて空港へ(友人、ロベルトの運転で)。
事前確認していたとはいえ、やはり気になるのでフライト情報の掲示板へダッシュ!
そして「CANCELLATO:カンチェッラート(キャンセル)」の文字。
ああ無情。
TVのニュースでも出ていましたが、どうやら従業員は来ているものの、その都度、
ほぼ気まぐれに適当にフライトをキャンセルしていくという有様なようで、こうしたストライキを
sciopero bianco:ショーペロ・ビアンコ
というそうです。
もう、こうなると事前確認も何の役にも立たず、ただただ運頼みです。
この混乱ぶりはまさにCAOS:カオス(混沌)の文字が相応しいようです。
せっかく早起きして来たのに・・・
で、とにかくチェックインカウンターに行って話しをしてみると、何と4時間後のフライトに変更が出来るとの事。
ううむ、それはとても有り難いのだけれど、
・何で変更できるわけ?
・たまたま席が開いていたから?
・じゃ、もし席が開いてなかったらどうなるわけ?
などと素朴な疑問もわきあがりましたが、もうこれも運なのかと思い直し4時間後のフライトにチェックインする事に。
もう、思いっきりアリタリアのストライキ問題の真っ只中って感じです。
さて、その日は
・先ず、カターニア → ローマ,
・続いて、ローマ → バーリ
という風に一旦ローマで乗り替えしてプーリア(バーリ空港)に入る必要があったため、
・とりあえずカターニアから出るフライトはどうにかなったのは由として
・ローマからの便が予定通りに飛ぶのかについては不安一杯
なわけです。
ああ、不安。
こんなタイトなスケジュールなのに・・・
っと4時間も待つ間に不安がつのります。
でも、考えてみればアリタリアの問題は今に始まったことではないわけで、
そういう状態の中で自分のスケジュールがタイトなのであれば、
わざわざ心配事を持ち込むような選択をせず、 他社を利用するなど、
日本以上に選択肢があるイタリアですから自分にも詰めの甘さがあったんだなぁと思い直しました。
思いがけず旅の途中で気分を新たにする事ができ、次の大地プーリアへと
向かう事になったのです。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その9
時間の遅れとはいえ、同日中に目的地、プーリアに到着しました。
ここではオリーブオイルの生産者、Antonio RAGUSO:アントニオ・ラグーソ
が迎えに来てくれていました。
シチリアのオリーブ収穫時期よりもプーリアのそれはやや時期が遅いようで、
丁度、収穫→搾油の真っ最中という事で大忙しの中を来てくれたのです。
イタリアを訪ねる場合、出来れば収穫や製造時期の“旬”に合わせて来るのが
ベストかもしれませんが、その分、私とゆっくり話をする時間も無いわけで、
そういう私もいつでも自由にイタリアに来れるわけではない・・・
という事もあって、結局、その場で出来る最大限の事をするしかないです。
今回は丁度収穫時期だったので、
“オリーブ畑に入って収穫の場を写真に収めよう”
という意気込みがあったのですが、運悪く天候は雨。
しかもかなり寒かったのです。
やはりこういう時はむやみに収穫しても良い状態のオイルを絞るのには
適さないわけで、彼用の畑での収穫は見送られていました。
とはいっても、彼は自分だけのオイルを絞っているわけではなく、先にも書いた
シチリアのBICENOの所と同じくFrantoio:フラントイオ(搾油所)ですから、
彼のところへオイルを絞ってもらおうと雨にも関わらず収穫したオリーブを持ち込む
人達が後を絶ちませんでした。
そうした人達は別に仕事を持っていたりして、オリーブは自家用のオイルを絞るため
に持ち込むのです。
丁度、週末だったこともあり、仕事の休みの日を利用して収穫するといったスタイルを
取る人達でフラントイオはまさに大忙しとなるのです。
もう一家総出で、ひっきりなしに運び込まれるオリーブを前に昼夜を問わずフル操業
といったところです。
なので、搾油所にはしっかりと居住スペースがあり、そこで寝泊りしながら仕事をするそうです。
仕事の流れとしては
・持ち込まれた各人のオリーブを所定のかご(250Kg入り)にいれ
・はかりに載せて重量を量り
・持ち込んだ人の名前とかごのNo.を控えに記載して渡す
・後日、控えをもとに各々が搾油のタイミングにあわせて再訪し
持ち込んだステンレス缶(55リットル)につめ、持ち帰る
※状態により前後しますが搾油できる割合は13~18%あたりだそうです。
という事を延々と早朝から夜中まで繰り返すのです。
なので、
「コウジ、良く来たね!でもこの通りの大忙しだから粗相を悪く思わないでくれよ。」
と、私と話している間もとぎれとぎれに、重量を測ったり伝票書いたり
あるいはフォークリフトに乗ってかごを何層にも積んでいったりと
それはそれは忙しい風でした。
何て事で、私こそこんな時期にお邪魔して申し訳ない気分で一杯になったくらいです。
なので私がカメラをぶら下げてフラフラ歩いてたりなんかしたら、
それこそフォークリフトに轢かれてしまいそうな雰囲気でしたから、
やっぱり気がとがめて撮影を断念しました。
さて、こうして絞られたオイルは殆どは各家庭で使われます。
事実、私がシチリアに暮らしていた頃も、お世話になっていた家庭にはオリーブ畑が
ありましたが、彼らは学校の先生として働いていたわけで、週末にこんな風にオリーブを
収穫してはフラントイオに持っていって絞ってもらっていたのでした。
家庭で使う場合にそこまで拘らなければ
・持って行ってから絞るまで2,3日かかっても気にしないし
・オリーブの実を潰してペースト状にする際に使う水の温度を上げて搾油量を増やしたほうが良い
と考えるのはごく普通の事かもしれません。
でも、長いオリーブオイルの歴史の中で生まれていった高品質への追求においては、この点において
・収穫から24時間以内の搾油 や
・水温を一定以上に上げない(コールドプレス)
といった手法を用いるようになってきた中にあっては、やはり出来てくるものの、
質の差といったものが大きくなったといえるでしょう。
すでにエクストラヴァージンというオイルのカテゴリの中で最上にあっても“さらに”を
目指した彼らの最善策の一つだと思います。
PIATTIで扱う、シチリアのBICENOやこのプーリアのGoccio d'Oroの両方とも、
すでに一般的に言われるエクストラヴァージンたるための決まりごとは軽くクリアし、
ここに書いた2点もあたかも当然のように取り入れています。
それは、結果として感じる香りや味わい、そして何よりも本当に純粋なものの持つ
自然な食品としての生命力にあると思います。
生命力なんて、とても抽象的ですが、食べ物の力強さを感じるとき、
それは旨いとか不味いとかそういうところよりも何か根本的な説得力のある部分ではないかと感じています。
オリーブオイルで言えば例えば酸度の問題がありますが、生命力が強ければ
酸化に対しても強い・・・とかそんな感じですね。
それは決して数値では表しきれないから難しいのですが、世の中に数多ある
“科学的に酸度を低くしたもの”とはやはり違うであろう、というか違っていてほしいと願う部分です。
それは、結局どんな姿勢でものをつくっているかを目の当たりにしないと
見えてこないものかもしれません。
もう何というか、データなんてどうでも出来てしまう時代ですから。
だからこそ、小さくても全うな作り手達を直接訪ねるからこそ見えてくる
L'intraccibilita:トレーサビリティ や、感じ取れる本物の説得力といったものは、
ごまかす事の出来ないものと信じています。
寒く雨の振る中、搾油所に併設された事務所で延々と足掛け二日の間に私がした事といえば
生産者アントニオと延々と話すことしかありませんでした。
一体何時間話したか定かではありませんが、その中で日本もイタリアも今では食にまつわる
問題は同時進行でもしているのかと思えるほどの共通項の多さに改めて驚きました。
この文章を書き終えるまでに何行書いては消したかわかりません。
書いてよいやら考えあぐねて書くのをやめた事が数多くありました。
その結果が、ちょっと見苦しい段落のつなぎ方だったり、抽象的な表現に留まったりしたことに
自分の至らなさを感じています。
でもやはり私が出来ることといえば、それぞれの作り手を数多く訪ねて見て話して食べて、
を繰り返すしかなく、またそれを言葉や試食を通じて少しずつ広めていくしかないわけです。
それが決して遠吠えとならぬよう、存在し続けることの大切さも改めて思い直しました。
頭がぐるぐる廻って気がどうにかなりそうでした。
やはりたった2日のプーリア滞在は短かすぎた間がありましたが、またの機会としました。
天気は雨続き、珍しく寒さ続きだった南イタリアとここでお別れし、
また朝一番のアリタリアに乗って北イタリアへ飛びます。
次はトリノです。
3度目の正直、今回の旅の山場が待っています。
続く。
イタリア買付道中記 2008 その10
朝一番、Bari:バーリの空港。
「良かったなぁ、コウジ、今朝は予定通り飛びそうだな。」
しみじみと、半ば慈愛にも満ちた言葉を生産者 Antonio:アントニオにかけてもらい、
“ようやく”無事にアリタリアに乗り、Milano:ミラノへ飛び立ちました。
しかしながら、今回はアリタリアが飛ぶとか飛ばないとか、そういう事より、
もっと気にしていた事がありました。
トリノのチョコレート屋さん、その事で頭が一杯だったのです。
「上手く話がまとまるだろうか、はたまた今年も失敗に終わるのか。」
今回の旅でも相当に心臓がドキドキするような緊張感を伴う訪問です。
何てったって、3年越しなのです。
というわけで、まずは出会いから。
Torino:トリノのお菓子といえばやはりgianduiotti:ジャンデゥイオッティ
これはカカオにヘーゼルナッツを練り込んだトリノ発祥のチョコレートです。
もちろん、Nocciola:ノッチョーラ(ヘーゼルナッツ)はトリノの属するピエモンテ州、
Langhe:ランゲ地方のIGPのものが最高とされ、これを使うのはハイクオリティを謳う作り手達
の中では最早あたりまえです。
なので、そういう話はもう置いといて、いろいろと食べ比べてみたいなぁというのが
最初のスタートだったのです。
それでまぁ、いろいろと食べ歩いたわけです。
日本でも有名なお菓子屋さんもあれば、無名のところも、さすがにトリノ名物?!ですから
いろいろとあるわけで・・・
そのうち、とある店で目にした、やや不恰好な形をしたタイプを口にした時、
私は脳天がつきぬけるような衝撃を覚えたのでした。
何とも有体、かつオーバーな表現ながら、まさにそんな感じでした。
fatti a mano:ファッティ・ア・マーノと言われる“手ごね”タイプのそれは
通常の親指大の“端正な三角屋根”に比べて“ややいびつな三角屋根”です。
いかにも手作り然とした外観を超えて、口内に飛び込んでくる衝撃の味わいは、
素材とそのバランスのなせる業でしょう。
“端正”バージョンとは明らかに異なる、ヘーゼルナッツの重厚な舌触りと濃厚な風味が
“上品”とか“甘さを抑えた”とかそういう言葉を圧するような説得力を持って語りかけるかのようで、
私は思わずううむと唸ってしまうだけでした。
美味しいなぁと唸るような塩大福を食べた時に、改めて見返したところで、
餅と塩と砂糖と小豆だわなぁ・・・と思い直すような、そんな感じにも似た何ともいえない
満足感をもたらしてくれたのです。
これは何とかして伝えたい!
と思った私は、一旦出ていたお店に戻ってキョロキョロしたりなんかして明らかに
挙動不審に陥り、ちょっと汗までかいたなんかして、これまたいよいよおかしい感じになりつつ、
何といって話し始めたらよいのか頭で繰り返しながらそのタイミングをうかがっていました。
ううむ、緊張しすぎ。
しかし、再度深呼吸して気持ちを整え、お店の主に申し出、名刺を差し出し、
私がインポーターである事やその思いなどを熱く述べ、何とか日本に紹介したいと嘆願したのですが、
「私達はこじんまりと家族でやっているだけなので、イタリア国内かせいぜいEU圏内の
お客さんに直接お届けするのが精一杯なのです。
ですから、輸出という事に対しては経験もなければ、それに対応する人間もいないのです。
商品を気に入っていただいたのは嬉しいのですが・・・」
というような風に、やんわりと、でもしっかりと拒まれてしまったのです。
何というか、ある意味、想像の範疇だったというか・・・
小さいながらも質の良い物を送り出す優れた作り手達は往々にしてこうした感じを持ち合わせています。
私が一消費者であれば、それは“そうだろう、そうだろう!”と満足感すら覚えるような
対応だったかもしれません。
丁寧に対応してくれたお礼を言ってその場を後にしました。
それが初めての出会い、2006年の事でした。
でも日本に帰ってからもじわじわとこみあげるような気持ちが抑えきれず、
翌年の2007年にも立ち寄ったのです。
彼らに対して、私なりに多少の言葉を加えたつもりでしたが、やはり良い返事を得ることが
出来ぬままに、前年同様の結果に終わったのでした。
懲りない私はその思いを拭いきる事ができず、2008年の今回の旅に先立ち、
あらためて彼らあてにラブレターをしたため、さらにラブコールをした結果、ようやく
「では、Leini:レイニという、トリノから少し外れた町に工房があって今の時期は
そこで作業しているので良かったらいらっしゃいますか?」
との返事を得るに至ったのです。
ただ、相変わらず輸出については後ろ向きの姿勢を保っている旨、釘をさされていました。
でも、ようやく念願かなって工房まで辿り着ける(昨年まではトリノの販売店舗のみだったのです)
ようになったわけなので、じっくりと面と向かって、淡々と語りかけてみようと思ったのです。
飛行機でミラノに着き、市内の定宿にスーツケースを預け、急いで電車に飛び乗り
トリノに着いたら、今度はTAXIに乗って工房へ向かいました。
工房へ到着したのは午後4時位だったでしょうか。
今朝早起きしてここまで辿り着くのに10時間はかかっているかもしれません
が、その間、ずっと頭がフル回転だったように思います。
3年目の今回は、まさに3度目の正直です。
そのお店は A.GIORDANO:ア・ジョルダーノ というお店。
今回は思い入れが強すぎて文章が長くなってしまいましたので次回に続きという事でお願いします。
続く。