イタリア買付道中記 2012
イタリア買付道中記 2012 その11
Friuli Venezia Giuglia:フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアという長い名前の州は
東欧のオーストリアやスロヴェニアと国境を接するところで、
作家の須賀敦子さんで知られるTrieste:トリエステもこの州に属します。
州都はUdine:ウーディネという街です。
このUdine:ウーディネ出身のイタリア人、Lorenzo:ロレンツォ氏と
ホテルで待ち合わせをして Saurys:サウリスという村に向かいました。
San Daniele:サン・ダニエーレよりもさらに北上する事60Kmほど。
石灰質が豊富であろう、パステル・ブルーを湛えたダム湖を横目にくねくねと山道を登り登り、
岩をくり抜いたのであろう、細いトンネルを潜り抜けしばらく走ると山間に少しずつ家屋が見え始めます。
もうほんと、これがイタリア?かと目を疑うかのようなハイジの世界。
ほとんどチロルですね。
可愛い赤の花を窓越しに飾る木造の家屋がポツンポツンと並び、空気も水も
きっと澄み切っているに違いない!っと心はそれだけで満たされます。
Sauris:サウリスの道案内看板を見る頃にはイタリア語に並んでドイツ語も 表記され、
国境近くにいる事をひしひしと感じます。
今でこそ車でシャーっとこれますが、ここまで辿り着くのはそりゃあ大変だったろうにと思う所ですね。
そうなんです、そこがこのサウリスをサウリスたらしめるポイントだった
のです。
「まずは食べよう!」
・・・なんて!いい言葉なんでしょう。
早速レストランへ。
まだ夏のシーズンには少し早いらしく、お客さんは私たちだけです。
外の方が気持ちがいいからと、オープンエアーで。
高原ならではの心地よい風、穏やかに晴れ渡った空、山の緑、静けさ。
はぁぁぁぁぁ~気持いイイ!!
で出てきたのは
・Prosciutto di Saurys:プロシュット(生ハム)・ディ・サウリス
・Speck:スペック
・Pecorino:ペコリーノ(羊)チーズに蜂蜜をたらしたもの
・カボチャやハーブのGnocci:ニョッキ
・Tortelloni:トルテッローニ(詰め物パスタ)
・Ragu' al cinghiale:イノシシのラグー
などなど・・・
生ハムやスペックはオリーブの丸いまな板にわんさと盛られてきました。
でも薄くうす~くスライスしてふわっと盛ってあるのが素敵。
口に入れるとふわりと品の良い、それは上品な燻製香が広がり、穏やかな
塩分をもってしてすうぅっと溶けるような感じで無くなります。
この旅で半ばキーワード化している ”Sciogliere in bocca:ショリエレ・イン・ボッカ「口の中で溶ける」"
をまたもや体感してしまいました。
スペックは生ハムに比べて肉の味・香りよりもやや燻製香や塩味がはっきりしていますが、
とはいえそれもあくまで上品な、といわれる範疇です。
なんて美味しいハムなんだろうと溜息が出ました。
ペコリーノチーズも新鮮さを存分に感じる質の良さ・香りでしたし、イノシシを使ったラグーなんてのも見事なものです。
地元のイタリア人に連れてきてもらった事、ハイシーズンではなかった事がさらに美味しさを増してくれた事は
言うまでもないでしょう。
コネは使いましょう、はい。
一通り食べ終わると店主も出てきてくれてあれこれ話すうち、ハムの扱いについて述べてくれました。
やはりここでも現代において、こうしたハムを最も美味しく食べる方法としてスライサーで薄く切る事の大切さを
きっぱりと強く言い切った事を印象的に記憶しました。
実はこの話はこのロレンツォ氏との話でも結構盛り上がったのです。
今回、ロレンツォ氏は奥さんも同行してくれたのですが、二人とも幼い頃は家でも生ハムを作っていたというのです。
生肉を保存して大切に食べる、その中で”干す”という知恵が生み出され、その際に”塩”を使うのが常套手段ですが、
塩が手に入り難いところでは ”燻製”する事によってその代役を果たすという流れは、
何もイタリアに 限った事ではなく、日本人の我々が容易に想像できるところです。
重い塩を運ぶのが困難な山奥では豊富にある手元の木々を使って燻製にする、自然な行為でしょう。
さらに、保存という観点からすればきっちり塩をするなり燻すなりして、がっちり干せば肉から水分が沢山抜けるので望ましいと
いえるでしょう。
それをナイフで削いで食す。
塩辛くて堅い干し肉、生ハムの原点ってそんなところかもしれません。
各々の家庭でそんな風にして大切に食べてきた動物性たんぱく質ですから、ナイフさえあれば十分で、
スライサーで薄く、なんて必要性がなかったと想像します。
ロレンツォ夫妻の年齢を考えても、こうした食文化は何百年も昔の事では無く、つい最近の、戦後の話です。
そういえばParma:パルマのSan Nicola:サン・ニコラ社の工場長もそんな話をしていたなぁと思いだしつつ。
いや対象は違うけれど、Sicilia:シチリアのSolo Sole:ソロ・ソーレの Filippo:フィリッポも
ドライトマトについて同じ話をしていましたっけ。
かくして時代は移り変わり、より美味しく食べようという人間の欲求にこたえるべく、
大型で脂肪分をたっぷり含んだプリンとした腿肉に薄めの塩をして、あるいは軽い燻製香を残し、
それを大型スライサーで薄く切る、それが今ある姿なんだと思います。
スライサーが登場してからも日進月歩、当のイタリア人だってその流れを全て追うわけでもありませんし、
食の仕事についていたとしても常に情報を更新できるほど時間の余裕もないはずです。
手切りこそ最高、スライサーの熱が劣化をもたらす、等々の話があれこれありますが、
その時代、その時代に即した技術や道具をもってして最も良いとされる手法が変わるのは何も生ハムだけの話ではありません。
これこそが私がイタリアに足を運び続ける理由の一つでもあります。
・・・っとまぁこんな話をしながら美味しい食事を続けました。
続いて同じ村にある生ハム工場を見学する事にしました。
WOLF:ウォルフという工場で、入口には薪が山と積まれていて燻製を強く印象付けてくれます。
ここではProsciutto:プロシュットとSpeck:スペックが作られていました。
この違い、結構シンプルで、入ってきた豚の腿肉がプリンと厚みのある大型のものだったらプロシュットに、
薄っぺらなものだったらスペックに、と随分あっさりと分かれるもんです。
もちろん、燻製や塩の加減はそれぞれに適したやり方があるのですが、
なんか、へぇと頷くような分かれ道ですね。
ハムの作り方そのものはパルマやサンダニエーレのそれと変わりませんが、
熟成庫にあたるところの作りが異なり、床が格子になっていてそこから煙があがってくる仕組みです。
階下に行くと沢山の薪があり、そこで燻した煙によって燻製となる、というまぁ巨大な燻製装置といった感じです。
これほどの山奥です。燻すための薪はそれこそ山のようにありますが、ここまで塩を運ぶのはさぞや大変だった事でしょう。
保存の為にそうしたのだ、という事が当然のようだと納得するところです。
もちろん現在は塩も過不足無く流通していますのでハム作りにおいては塩の方が主体的で、
燻製香は個性的であってもあくまで上品の範疇に収まり、それが結果としてえも言われる味わいとなっているのかもしれません。
この生ハムは生産量も知れているものですから、ほとんどが州の近郊で消費されているとの事です。
また、現代的といっても、パルマやサンダニエーレといった世界中へ輸出されるに適した工場施設にもなっていませんから、
輸入は大変難しいというかほぼ無理でしょう。
そういう食材が山ほどあるのがイタリアです。
輸入できないからといってそれを見ない、試さないのはあまりにも寂しい話です。
とても珍しい、しかも美味しいものを知る事ができ、さらに当初の予定になかった突発的な出会いだっただけに
余計に満足度の高い訪問となりました。
夢一杯、お腹一杯で山を降りました。
続く。